来宮神社のお祭り |
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伊豆市八幡 |
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来宮神社 伊豆市八幡106番地
祭神 いそたけるのみこと 五十猛命由緒 当社の創建は棟札によると、貞和年中(1345〜49)に藤原祐義公が新しく宮殿を建てられたのが初めてであると書かれてある。
最古の棟札としては天文元年(1533)のものがあり、弘和二年(1382)宮殿建立、その後、数度の修復再建の古記録が、残っている。
古くから郷社として大見十六ヶ村の総鎮守として崇められ、終戦前までは例祭には必ず田方郡長が奉幣使として参拝されていた。
現在の建物は昭和六年から七年に掛けて大改修され再建されたものである。
境内入口の大きい二本のスギノキは一名鳥居スギと呼ばれ樹令は四百年以上といわれる。
また境内奥に大きなクスノキの老木があり、その根の空洞に昔、伊東祐親の家臣に追われた大見小藤太が隠れていたとの伝承があり、今でも祭礼時には新しい注連縄が張り替えられる。
大見三人衆のひとり佐藤藤左衛門尉の系累は代々常に神社の補修再建に尽力してきた事が記されている。 |
来 10月19日 宵祭り
10月20日 本祭り
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【来宮神杜奥の五輪塔について】
鎌倉時代のころ、比の地方に戦いがあり、敗れた某家の武士は、附近の来宮神杜裏山の木の洞に逃れたが、近くにっないなないだ馬が噺いたため、追ってきた敵方に見っかり、遂に討ち取られてしまった。そして、其の死骸は野ざらしとなっていた。
八幡町屋に住んでいた土屋氏という武士が、その死を憐れみ来宮神杜の裏山に埋葬し、墓石を建てその霊を杷った。
年代を経過すると共に、供養した土屋家も絶え、墓石も土中に埋もれ、そのまま誰れからも忘れ去られていった。
近年(年代不詳)に至り、墓所の近くに住む山本家の馬が病気になり、伯楽も(馬の医者)見放すほどの重態となった。
そして、ある夜家人(老母)の夢枕に武士が現われ、
「吾れは、来宮神杜の裏山に埋葬されている者であるが、年経るにつれて墓守も絶え、土中に埋もれ今に至っている。願わくぼ墓石を掘りだし、供養して呉れるならぼ此家の馬の病魔を退散させよう。場所は来宮神杜裏山の栗の大木の根元を掘って見るがよい。」
と告げて消えた。
家八は、直ちにその場所を掘ると、たしかに五輪塔が現れた。場所を移し、これを厚く杷り供養した。すると不墨にも重態であった馬も、元のように元気になった。
(語り手(一部)山本ひでの様、川口平治郡) |
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